令和6年3月31日(日)

令和6年3月31日(日) 曇りのち晴れ
 夜半に堺を出立し、松原、天理、伊賀、亀山を経て四日市港の渡船場へと到る。5時半に解纜。本日も釣り客5人と少なし。新堤半ばより餌にゼンボを用いて落とし込みたり。新堤内側に沿い先端へと辿り著くも、目印は当たりを発さず。黄土色の水潮なれば已む無しと思いつつ、先端で岩蟹を鉤に刺し、前へ打ち込みて着底の刹那、穂先を叩く当たり有之。合わせるに暫し抗いた後、筍眼張が海面へと姿を見せし。長寸20糎。戯れに復た岩蟹を前へと投ずれば、孕みの笠子を相見ゆ。三度前へと放り込みたり。而して鉤先を根に掛けしか、竿を上げるに能わず。之を外さんと試みたれば、道糸と目印仕掛けの結合部に於いて断絶したり。今季に備えし新式の目印を早くも喪失す。今朝は黒鯛を釣らんと新堤へ渡りたるを健忘し、眼前の容易き根魚に執心せる報いなりや。昨日より憂き目に遭い続けたれば、最早多くを談らず。爾後は11時の戻り船で帰港せる迄の間、残れる記憶は甚だ薄し。何の因果を以て貴重なる暇日の浪費ならざらんやと、貧相な心持ちで帰途へ就きたり。