令和5年4月2日(日) 太平洋上:曇りのち晴れ 名古屋:晴れ
船室にて就寝中、突き上げる揺れ之有。時刻は2時23分を指せり。本船は石廊崎近くを航行中と確認す。海の難所なれば致し方なし。二度寝して次に目を覚ませば、本船は既に遠州沖まで到達せり。7時丁度に船内放送ありて、朝食の用意出来との由。衣装を整え食堂へ赴くも、左程口腹の欲は無かりせば、海苔の佃煮で粥を流し込みて済ませり。8時に進路変針。伊良湖水道へ進入す。進路右手に伊良湖岬灯台、転じて左手に神島在り。本水道は伊勢湾へ通づる航路と好漁場輻輳して大小船多し。日曜日なれば、本船進路付近にも遊漁船数多寄りて殆うし。常滑沖に差し掛かりて、海上の中部国際空港を通過す。第二滑走路建設途上の模様を眺めたり。9時30分頃、前方に展開せる木曽・長良・揖斐各川河口を遠望しつつ右へと転ず。進路右手側には名港中央堤西端部の通称西堤、また左手側には鍋田堤在りて、両堤先端の間を抜けて愈々名港へと進入せり。各堤共々、昔は頻繁に通いし落とし込み釣り場なれど、立ち入りを禁じられて爾来十星霜余り、船中より久闊を叙す。船内放送あり。定刻10時30分に到着予定との由。未だ1時間弱も猶予有ると雖も、名古屋港内においては、大型船なれば減速を強いられし。牛歩の進行を続け、最終関門の如き名港西大橋を潜りて、庄内川河口に位置せし埠頭へと接舷したり。時刻は10時20分。10分の早着なり。船を降りて埠頭本屋前のバス停に赴けば、下船客が早くも長蛇の列を為せり。これに並ぶも、果たして1台のバスに収まるや否や。そこへ丁度タクシーが来たれり。荷物を抱えし身なれば、これで最寄りの駅までとぞ思えども、斯様な冗費は慎むべしと言い聞かせし。さりながら、バスに乗り能わざるよりはと逡巡する中、後ろへ並びし老夫婦、果断即決タクシーへ乗り込みて去りぬ。後続の車は見当たらざれば、もはや如何とも為し難し。幸い寸刻待ちて来るバスに乗り込み、最寄りの野跡駅へと運ばれり。冗費を捻出に及ばず。やれやれと、乗り換えし列車の座席に腰を据えて思えらく、然るに今回の思い付きで出掛けたること自体、果たして冗漫の浪費に非ずやと。而して疲労せる頭で考えても、揺れ動く車室で易く判ぜざるまま、三日に亘りし遠出を終えて恙無く帰宅したり。
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令和4年4月1日(土)
令和4年4月1日(土) 仙台・太平洋上 晴れ 午後は波高し
6時半起床。朝昼晩と食堂へ呼ばれる以外、概ね終日船室で過ごせり。無為徒食の如し。船室は船首に在りて、日中は遮光幕を上げ(日没後は航行の安全を期すため不可なり)、窓外より本船前方を眺望す。太平洋上波穏やかなり。10時に仙台入港。13時まで停泊せり。名古屋までの乗客は暫時下船を許されるも、先回下船して曾遊の地なれば之に及ばず。昼食を済ませ左舷デッキより解纜を見ゆ。北風強し。改めて右舷に移し、風を避けつつ港外の仙台港南防波堤を眺め、またぞろ船室へと戻りて午睡す。14時30分頃、船内アナウンスにて、前方より姉妹船「きそ」が接近せりとの由。窓外に白き船が迫りつつあり。昨晩19時に名港金城埠頭を出て、本船左舷約400米の距離を反航す。前回は「きそ」に乗りて「いしかり」と行き違えたり。感興深し。船室より左舷デッキに移動し、仙台港へ向かう「きそ」を見送りて爾後は何も特筆せず。仙台港出帆の折、船長から波高2米にて揺れが予想されるとの放送あれども、船体大きければ動揺之無。19時半に夕食を終え、22時の船内消灯アナウンスと共に就寝す。
令和5年3月31日(金) その3
〔承前〕埠頭本屋の窓口にて手続き後、18時を過ぎて苫小牧西港に停泊せる太平洋フェリー名古屋行へと乗船す。埠頭に繋がれし巨船之有。本航路に就役せる「いしかり」「きそ」「きたかみ」三杯のうち、今次配船は「いしかり」なり。名港金城埠頭へ黒鯛を釣りに出掛ける際、停泊中のみならず出船入船で馴染みのある船なれば、斯様な遠地で相見えるとは感慨深し。先に乗船せし砌は「きそ」なれど、また同様の感を抱きたり。それに絡め、本屋より長き乗船通路を歩きて思えらく、前回より既に二十星霜。この辺りに左程変化は見らざれば、記憶鮮明に残れども、逆に自身の加齢を知らしめられたり。果たして次の機会は有らざるや否やと。宛われし船室は、船首操舵室階下の畳敷き和室なり。本来3人乃至4人に供せられる部屋なれど、今回は我一人のみにて名古屋に至る。浴室も付属の特等船室にて贅沢の極みなり。とはいふものの、帰りの航空運賃と比肩なせば、同額或いは廉価にして泰平の贅に非ず。もっとも、列車を乗り通して次の南千歳で下車し、更に乗り換えて新千歳空港より名古屋への航空便に乗り込めば、僅か1時間半ほどにて帰着せり。こちらは苫小牧港より仙台港を経由し、名港へ辿り着くは明後日の10時30分にして、乗りたる時間は約40時間を要す。誠に阿房奇特の所業と言わざるを得ず。贅沢か否か容易に弁ずるを能わざるなり。船室にて落ち着きて後、食堂にて夕食。つい3時間ほど前に駅弁のかにめしを食したばかりなれば、些か早き夕餉に外ならず。さりとて20時には食堂が閉まる由。しかのみならず、船賃に食事代が含まれれば、食事を逸するは勿体無し。貧乏根性にて食指の動かぬまま夕餉を済ませり。19時解纜。食堂に在りて微かな揺れで出帆を識れり。久方振りの遠出にて疲労困憊。部屋に戻りて入浴後、早々に就寝す。
令和5年3月31日(金) その2
〔承前〕札幌駅本屋に入れば人多し。屋外の閑静に比べ、何処より寄せ来るかと思ふほど意外なり。構内の自動発券機にて、先日予約した乗車券と特別急行券を受領す。間違いなきを確認し安堵。発車まで残余の時間あり。駅より外へ出てみたところ快晴なれば、先ほどまでの陰鬱な空色が嘘の如し。発車時刻迫りて、再び駅本屋に入り改札を通って高架線の歩廊へ上がれば、全体に覆いのある薄暗き構内に見覚え之有。各線より乗り入れたる車両は新しき形式に代わりて異なると雖も、天井の覆いに気動車の煤煙を抜く排出口は未だ残れり。入線せる特別急行第12D列車北斗12号函館行に乗車。定刻12時09分に札幌駅を後にせり。窓外に苗穂工場を見ゆ。こちらは健在なり。続いて暫く市街地を走り、南千歳駅付近に差し掛かれば、白樺やエゾ松らしき樹林を見ゆ。ようやく北海道と思わしき窓外となれり。苫小牧より室蘭本線となりて太平洋岸に沿う。東室蘭までは平坦かつ線形良く、列車より快晴、波穏やかな眺望続きたり。東室蘭を過ぎ内浦湾に変わりて、線形やや悪し。海沿いを列車は暫し蛇行しつつ進みけり。伊達紋別から有珠にかけ、反対の窓外へと目を転じた刹那、赤茶けた昭和新山の頂きを見ゆ。他の山々は頂に雪の冠あれど、昭和新山と隣の有珠山共々未だ活火山にて雪は積もらず。右手より函館本線と合流し、定刻14時37分、長万部着。下車して駅前の弁当屋にてかにめしを贖う。以前は駅売り在り。今や優等列車は全て窓が開かず、また機関車付け替えの長時間停車も無之して、駅弁ながら駅での販売は非ず。平成元年8月初旬、札幌より函館本線経由の臨時急行ニセコ号にて函館へ向かう砌、当駅で数分の停車中に立ち売りの当店かにめしを求め、爾来35年振りの購入なり。これにて踵を返し帰途に就かんとす。長万部15時05分発、特別急行第13D列車北斗13号に乗車。ただし2分の遅発にて発車す。復路の列車はほぼ満席にて、隣席にも乗客在り。駅弁を食すは躊躇せること些かならず。一言断りて先ほど贖いしかにめしを開けたり。カニ肉の水分が無くなるまで煎りしそぼろ状にて散り易し。箸で白飯ごと口中に運ぶはなかなか困難なり。混雑した車室で食事を為すのも気が進まぬ中、況や隣席に乗客在りてをや。粗相無きに気を取られて、かにめしの賞味に及ばす。途中停車の洞爺、東室蘭で乗客の入れ替わりはあれども満席は変わらぬまま、16時35分着の苫小牧にて下車す。懸念した列車の遅延は定刻に復せり。急ぎ跨線橋を渡りて改札を抜け、駅前左手側の停留所に至る。遅延を懸念したるは、16時40分発の苫小牧西港行バスに乗り継ぐためなれど、幸い札幌仕立てのバスも遅延にて、乗り遅れの失態に及ばず。込み合う車内で空きたる席を見つけ、15分ほど要して到着せし苫小牧西港停留所で下車したり。
令和5年3月31日(金) その1
令和5年3月31日(金) 小牧:曇り 札幌:雨のち晴れ 長万部・苫小牧:晴れ
本日有休日。県営名古屋空港すなわち小牧飛行場より、8時発FDA391便札幌丘珠行にて出立す。当空港は改札を抜け直接滑走路に赴きてタラップより搭乗。他の空港と異なり軽便にて鉄道の乗車の如し。小牧-丘珠線は今月27日より通航して日浅し。しかるに平日ながら座席は全て埋まれり。春休み故か子連れの乗客多し。定刻8時にタラップ離脱。乗機は誘導路より滑走路に出で、8時10分に恙無く離陸せり。5年ほど乗っていない飛行機にて、忘却していた離陸時の勢いと圧迫感を覚醒す。水平飛行に移りて機長の挨拶あり。機長曰く当機は新潟上空に在りて佐渡島が見えたりと。先夏に新潟市へ赴き砌は自動車で5時間を要したところ、飛行僅か半刻で至りたり。窓外にて眼下の佐渡は山々頂きに雪を冠す。この後は眼下に雲海広がりて、地上の様子を見ること能わず。飛行1時間半余り、10時40分に雨天の丘珠空港すなわち札幌飛行場へ着陸す。接地の刹那、衝撃強し。続いて急制動を掛けるも、濡れたる路面にてスリップし些か肝を冷やせり。小牧と同じくタラップより降機す。雨天にて空港職員より傘を借り、滑走路を暫し歩きて空港本屋に至る。機中に預けた荷物を受け取り、そのまま出口にて待ち受けたる札幌駅前行の北都交通バスに乗車す。こちらもまた至極簡易軽便なり。丘珠空港は平成2年8月以来2度目にして曾遊の地ながら、前回は到着が日没後のためか記憶薄し。鉄道で名古屋より東京を経由し、青函隧道を潜りて渡道後に函館より丘珠まで敢えて乗りたり。18時発の最終便にて、満席の通路側席だったことも手伝い、乗機が既に稀有なYS-11ということの他、窓外の眺望に左程記憶之無。今より三十有余年前の閑話休題なり。バスは小牧より到着せる乗客を持ちて定刻より15分ほど遅発す。新千歳空港と異にし、丘珠空港は札幌市東区に在り。因って市街地を走れば、奇遇にも都市の設計者が同じ故か、窓外は名古屋市内瑞穂区近辺と変わらぬ印象なり。誰とはなしに「名古屋と変わらんがや」とは蓋し至言と言うべし。10時35分札幌駅前到着。凡そ30年前の駅前とは大いに変貌せり。駅舎も周囲の建物も建て替えられた模様にて、もはや今浦島の如し。当時宿泊した駅前の八重洲ホテルを探せども不明なり。しかのみならず道都に在る駅なれど、駅前を歩く人の数は多からず。低く垂れ込めた雨雲が陰鬱な色を醸し出して、余計に寂しき景色と為すせいか、盛夏の時期と比肩して余計に寂しき景色を映せり。軒下にて雨を避け、暫し眺めたる景観に甚だ当惑の感を抱くのみ。